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トヨタ・ストラテジーの中国版完成

 昨年春に出版した「トヨタ・ストラテジー」(英文のタイトルはTHE TOYOTA READERS)の中国版が完成。昨日、表参道の事務所に届きました。出版したのは北京の精華大学です。日本でいえば、さしずめ東大出版会といったところでしょう。横18・5センチ、縦25センチで、日本の週刊誌の大きさで、294ページです。

 小生の書いた本を外国で出版する際は、日本語版ではなく英語版から翻訳してもらっております。理由は英語版では、主語と述語の関係をはっきりさせ外国人が読んでも分かりやすく書いているからです。私の日本語版の文章は、言い回しが独特で日本語版から翻訳すれば間違いが起こる危険性があるからです。

 中国版のタイトルは一番上に英語で英語版と同じアルファベッドの文字が入り、その下に中国語版独自のタイトルが入っています。その下に豊田佐吉、豊田利三郎、豊田喜一郎、石田泰三、豊田英二のトヨタの礎を築いた5人の社長の会写真が入っています。

 中国は近年、漢字の略字を使っているのでいくら漢字の辞書を引いても出てきません。察するに中国版のタイトルは、「豊田の指導者」と思われます。日本語版では随所に日経ビジネスに連載したイラストをつかいました。そして英語版では真中に16ページにわたり、トヨタの指導者と歴代のクルマの写真を入れましたが、中国語版では真っ先に英語版と同じ16ページにわたり写真が入っております。目次を見る限り、英語版をそのまま踏襲しています。

 驚いたのは表4(裏表紙)にトヨタの始祖ともいうべき豊田佐吉の名言、「そこの障子を開けてみよ、外は広いぞ」を入れていることです。表紙や裏表紙やキャッチコピーを見る限り、よく読み込んで作られている気がしました。それ以前に世界一の自動車メーカーになったトヨタの経営姿勢を学ぼうという謙虚さを感じました。

 出版元が精華大学なので、大学の講義で使われることも考えられます。果たして中国でどんな反響が出るか楽しみです。

 

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真夏のウォーキング

 お見舞い申し上げます。

 この暑い夏でも相変わらず毎朝、ウォーキングを続けております。1日2万歩が目標です。会社勤めをしていた時は、毎日寝る前にその日歩いた歩数を手帳に書いていました。週2日程度は目標に達しない日がありましたが、1週間単位でみると、確実に15万歩は歩いてい他かと思います。

 会社を離れ表参道に事務所に寝泊まりするようになってからは、目標の2万歩を達成するのは、逆に週2回程度です。原因は行き帰りの通勤がないことと、日中は用事がない限り、出歩かなくなったことです。原稿や講演依頼の場合は、依頼者が来てくれます。取材を申し込み本来出向かないければならない人でも、わざわざ事務所に来てくれる人もいます。これでは目標を達成するのは無理です。むろん手帳に書くのもやめました。

 そこで2カ月前からやり方を変えました。目標歩数は変わりませんが、2万歩を超えた分を貯金、不足分を借金にするやり方です。たとえば1日に1万7000歩しか歩かなかった日は、3000歩の借金です。その日は歩数計をゼロにせず、翌日2万歩に達した時点でゼロにするのです。現在の貯金は12万2925歩です。貯金を増やすため外出しない日は、夕方表参道の街を散策します。そこでは朝や昼では見えない別の街が見えてきます。お盆の間は比較的閑散としていましたが、相変わらず外国人がおおい街です。

 先週は香港に行ってきましたが、その直前は4万歩の貯金がありました。海外に行っても毎朝歩くようにしていますが、香港は明るくなるのが7時近くで、緑が少ないせいか、歩く気がしません。しかも9時にはホテルを出るので、その時間もありません。それを計算してせっせと貯金したわけです。

 正直言って、今年の日本の暑さは異常です。朝から30度近い日は、確かに億劫になります。それでも太陽の光を避けるコツがあります。帽子を被り、サングラスをかけ、タオルを首に巻けば暑さ対策は万全です。

 表参道の事務所を中心にした散歩コースは3つあります。一つ目が青山墓地から明治神宮外苑を通るコース。2番目が明治神宮一周コース。3番目が代々木公園一周コースです。私の場合、1時間8000歩です。朝は最低でも1万2000歩ほど歩くように心がけています。時間にすれば1時間半になりますが、実際はもっとかかります。

 途中でNHKのラジオ体操をするからです。3つのコースにはいずれもラジオ体操の会場があります。6時半の開始時間に合わせて、その日のコースを決めます。事務所を出かけるのは大体、5時半前後ですから戻ってくるのは7時半前後になります。ラジオ体操の時間は10分ですが、どこの会場でもNHKの体操が終わった後に独自の体操を取り入れております。

 昔は朝のラジオ体操の時間は真夏でも涼しい気がしましたが、現在は6時を回れば太陽が照らし続け始めます。そこで太陽がまぶしい日は、足はひとりでに明治神宮に向かいます。外周は樹齢数百年と思われる巨木が植えられており、太陽をさえぎってくれます。明治神宮は今年建立90年になるそうです。建立に際しては全国から百万本ほど集められたそうです。神社全体がうつそうとしており、軽井沢にでもいるような錯覚に陥ります。代々木公園は明治神宮ほどうつそうとしていませんが、ジョギングのメッカで薄暗い内から大勢の人が走つています。いずれにしても散歩にはこと欠きません。

 私は机に向かって原稿を書いているいる時間が長いせいか、歩く姿勢が決していいとは言えません。皮靴でも運動靴でも、右足は右のかかと、左足は左にかかとから減っていきます。これを矯正するため、最近足首に片足800グラムの砂の錘を付けて歩いています。最初は違和感がありましたが、ようやく慣れてきました。確かに錘をつけると足が地に着く感じです。

 「佐藤さんはジョギングではなく、ウォーキングなのですか」。よく尋ねられる質問です。

 私の場合、ウォーキングでなければならない理由があります。根がずぼらなせいか、現役の新聞記者時代から取材中にはメモを取りません。ノンフィクション作品を書くようになってまらも、たとえ1000枚以上の作品でもスケルトンは一切作りません。すべてウォーキング中に頭の中で考え、それを原稿にするのです。ウォーキングならそれが可能ですが、ジョギングとなると、走りながら構想をまとめることはできません。

 お盆明けの今日は5時に出て、表参道からNHKのある神南を回り代々木公園をまわってきました。梅雨明け時には4時過ぎになると明るくなりますが、今は5時でも薄暗く、来月になれば5時半にならなければ、東の空が明るくなりません。日中はうだるような暑さですが、秋は確実に押し寄せています。

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中国大使

 昨日、中国大使に任命された前伊藤忠会長の丹羽宇一郎さんの壮行会が、都内のホテルで開かれました。出席者は丹羽さんと個人的に付き合っていた人たちで、政治家や役人はいませんでした。

 私が丹羽さんと知り合ったのは、彼がニューヨーク駐在を終え帰国してからからですから、かれこれ30年近くなります。当時はまだ課長だはずです。丹羽さんの生活信条は、「清く、正しく、美しく」です。社長になってからも電車で通勤を通しました。自宅が同じ田園都市沿線ということもあり、朝の通車で一緒になる機会もままありました。また私と元通産省事務次官の棚橋が幹事をしている月1回の朝の勉強会にも入ってもらい、忌憚のない意見を述べてもらっています。

 壮行会のあいさつの中で、丹羽さんは「政府から打診されたのは今年4月」と裏話を披しました。ただし相手国のアグレマンを取らなければならないので、官邸から「それまでは絶対に誰にも話さないでください」と釘を刺されたそうです。律義な丹羽さんは、誰にも話さず、奥様が知ったのは6月中旬過ぎに日本経済新聞がスクープした記事をも見て知ったと会場を沸かせていました。

 一般的なトップ人事の報道について、5月の勉強会で話題になったことがあります。その時、丹羽さんは「トップ人事は本人が話さない限り、新聞は書けないでしょう」と自信ありげに話していました。元新聞記者の私としては、「人事は必ず抜けます。たとえ本人が話さなくとも、その人事に最も影響力のある人が確認してくれれば、紙面化できます」とむきになって反論したものです。

 当時、丹羽さんは次期NHK会長や経営委員長に就任するという噂がありました。私が現役の記者なら必死になって取材したでしょうが、今や元新聞記者の身分。この時はNHKから打診があったのかも知れないと漠然と考えていましたが、まさか中国大使とは予想もしてませんでした。今にしてみれば、当時の丹羽さんは夜もおちおち眠れなかったのかもしれません。

 今回の人事は外務省のチャイナースクールや同業他社から前途を危ぶむ人がいるのも事実ですが、当の丹羽さんは「誰かがやらなければならない仕事。新風を吹き込みたい」とわれわれ関せずと、ひょうひょうとしています。中国は今や日本を抜いて世界第二の経済大国。日本との関係はますます重要になるでしょう。それだけ丹羽さんの責任は重くなるでしょうが、私は丹羽さんはその大役を果たせると信じています。

 

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