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野田佳彦さんへの期待

 私が野田さんの名前を聞いたのは、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助さんの口からです。松下さんは日本国の将来を憂い、私財を投げ打って松下政経塾を創設しました。野田さんはその第一期生です。一期生の入塾の最終面接には、幸之助さんも立ち会ったそうです。その直後に幸之助さんに取材した際、次のように語ってくれた。

「いい人材が入ってきたで。とりわけ野田という男がいい。必ず日本を背負って立つ男だ。あの男が入ってただけで、政経塾を作った意味があった。一気に国会を狙わんでも地方議員を経験し、どれを土台に国の政治に関与すればええ、と言っておいた。機会があれば一度会ってみなはれ」  

 野田さんは、幸之助之さんが言われた通り、千葉県議を経て国会議員になった。しかし接点もなく会うチャンスもなかった。しかし十数年前、仕事で野田さんと政経塾の一期生ながら、政治家にならなかった人と知り合い、その人に野田さんを紹介してもらった。私が勤務していた日経BP社の私の部屋に訪ねて来られ、長時間話した。私の第一印象は、「”誠実”が背広を着て歩いているような人」ということだった。しかし国家観はしっかりしていた。幸之助さんが評価したのは、野田さんの国家観だっただろう。その一方で、権謀術数が日常茶飯に横行する政界で伸し上がっていけるのかとの不安もあった。

 野田さんとのかかわりたが、もう一つある。私が日経新聞産業部長時代、同郷の近藤洋介君が産業部に配属されてきた。近藤君の父君は「コンテツ」と愛された元労働大臣の近藤鉄雄さんである。近藤君は私が日経BP社に転じた後、政界に打って出た。最初は落選の憂き目にあったが、その後3回連続して当選し、鳩山内閣では経済産業省の政務官になった。近藤君が属しているのが、野田さんが主宰している「花斉会」である。

 野田さんと近藤君が何回か表参道の事務所に来て酒を飲み交わし、政治談議を交わしたが、考え方がぶれないうえ、パホーマンスを徹底して嫌っていることが分かった。中国の諺に「泰山の安きに置く」のがある。泰山(中国にある有名な山)のようにどっしりと安定した状態にするという意味である。現在の政界には、泰山の安きに置くことが求められる。それが出来るのは、私は野田さんをおいていないと信じている。

 菅総理が正式に退陣を表明していない現在、現職の財務大臣である野田さんが、代表選への出馬表明するわけにはいかない。早晩、しっかりした国家観に裏付けされた日本が進むべき道を示した政策を発表するだろう。今は魑魅魍魎の政治の世界で、代表選の前に潰されないことを願うだけである。

 10日発売の月刊「文藝芸春秋」7月号の巻頭エッセイに「一瞬の判断」を寄稿しました。

 

 

 

 

 

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