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佐藤正明の著作(連載)

このページは佐藤正明の連載について記載します。

● 日経ビジネス 1998年3月2日号~1999年7月12日号(全70回)

「映像メディアの世紀 ― ビデオ・男たちの産業史」

日経ビジネス 映像メディアの世紀

日経ビジネス 映像メディアの世紀

(著者解説)
このテーマは編集局長付編集委員の時代に企画が持ち上がり、1997年秋から日本経済新聞の夕刊で連載することになっていた。しかし私が急遽、日経 BP社へ転籍することになり、新聞連載が困難になった。しかし取材が進んでいたこともあり、日経BP社が発行している「日経ビジネス」で連載することになった。
イラストは新聞連載を前提に大阪在住の西口司郎さん、レイアウトは多田和博さんにお願いしていたが、掲載媒体が変更になっても、引き受けてもらうことになった。新聞は黒一色だが、雑誌は4色使えるので逆に迫力がでた。
連載は1998年3月2日号から1999年7月12日号まで約1年半、70回に及んだ。日経BP社の役員を兼ねての連載だけに、物理的には厳しかったが、この間、1回の休載も無く連載を続けられたのが、その後の自信につながった。

日経ビジネス 映像メディアの世紀(最終回)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(最終回)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(エピローグ)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(連載を終えて)

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● 文藝春秋 2002年6月号~2005年3月号(全32回)

「ザ・ハウス・オブ・トヨタ ― 自動車王 豊田一族の百五十年」

文藝春秋 ザ・ハウス・オブ・トヨタ

文藝春秋 ザ・ハウス・オブ・トヨタ

(著者解説)
長年、産業界を取材してきた私にとって、トヨタはライフワークである。新聞記者時代からトヨタに関する文献を漁るように読んできた。しかし読めば読むほど、グループの始祖ともいうべき豊田佐吉の生き方を理解しない限り、トヨタの今日の姿を描けないということが分かった。
そんな折り、月刊「文藝春秋」編集長の松井清人さんから声が掛り、2002年6月号から2005年3月号まで32回連載した。毎回読者から間違いの指摘や励ましを受けた。書籍と違い毎回読者からの反応が届くので書くほうも真剣勝負となる。

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● 日経ビジネス 2008年3月17日号~2008年11月17日号(全34回)

「トヨタ ストラテジー」

日経ビジネス トヨタ ストラテジー

日経ビジネス トヨタ ストラテジー

(著者解説)
読者はあまり気付かないが、同じ連載でも新聞と週刊誌と月刊誌では書き方が異なる。「映像メディアの世紀」(週刊)と「ザ・ハウス・オブ・トヨタ」(月刊)は会社勤めをしていた関係で連載を継続するのが精一杯。媒体の特徴を意識する余裕がなかった。
今回、日経ビジネスの連載で気を付けたのは、連載が34回の長期に及び、しかも1回の分量(400字詰め原稿用紙20枚)が多いので、1回のテーマに即し、 出来るだけ読みきりスタイルを採った。したがって、途中から読んでも分かるように構成に工夫を凝らした。むろん連続して読めば、トヨタが採ってきた戦略の 変化が分かるよう心掛けた。構成は毎朝日課にしているウォーキングの時に考えた。

日経ビジネスの売り物の一つは、全て四色カラーページであることだ。その特徴を生かさない手はない。そこでイラストは西口司郎さん、レイアウトを多田和博さ んにお願いした。大阪在住のお二人は仕事場が近いこともあり、原稿を5、6回読んで綿密に打ち合わせたうえで、イラストとレイアウトを決めてくれた。
発行部数30万部を超す日経ビジネスは、9割が直接販売、残り1割が駅での即売である。発行元の日経BP社はすべての雑誌で毎号読者調査を行っている。「トヨタ ストラテジー」については、読者の反応は「毎回楽しみにしている」という励ましの意見が大半だったが、中には「レイアウトが楽しみ」という意見もあった。 むろんお叱りの意見もあった。

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