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疑問だらけの再生エネルギー特別措置法案

 国会が空転している。原因は菅首相が突如、自然エネルギーの全量を固定価格で買い取ることを電力会社に義務付ける再生可能エネルギー法案成立に意欲を持ちだしたたことにある。しかしこの法案は本末転倒である。枝葉末節と言ってもいい。理由は2つある。一つは新聞でも連日報道しているように自分の延命策。もう一つはソフトバンクの孫社長をはじめとする、再生エネルギー事業への参入を考えている企業が背後にいることだ。電力会社が全量固定価格で買い上げるのだからリスクなき参入、これほどおいしいビジネスはない。

 いま政治がやならなければならないのは、エネルギー基本計画の見直しである。03年に制定された基本計画は、07年に第一次改定、菅内閣が発足した直後の昨年6月に第二次改定した。骨子は原子力発電への依存率を高めることだ。福島第一原発事故を機に、基本計画の見直しは必至である。当然のことながら原子力位置づけも変わってくる。ただし、見直しは福島第一原発が冷温停止しなければ進まない。

 その前に再生エネルギー法案が成立してしまえば、整合性が取れなくなり、日本のエネルギー政策が混乱するだけである。ここは時間をかけてエネルギー政策を見直しを進め、原子力や再生エネルギーを位置づけをはっきりさせることである。

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野田佳彦さんへの期待

 私が野田さんの名前を聞いたのは、松下電器産業(現パナソニック)の創業者、松下幸之助さんの口からです。松下さんは日本国の将来を憂い、私財を投げ打って松下政経塾を創設しました。野田さんはその第一期生です。一期生の入塾の最終面接には、幸之助さんも立ち会ったそうです。その直後に幸之助さんに取材した際、次のように語ってくれた。

「いい人材が入ってきたで。とりわけ野田という男がいい。必ず日本を背負って立つ男だ。あの男が入ってただけで、政経塾を作った意味があった。一気に国会を狙わんでも地方議員を経験し、どれを土台に国の政治に関与すればええ、と言っておいた。機会があれば一度会ってみなはれ」  

 野田さんは、幸之助之さんが言われた通り、千葉県議を経て国会議員になった。しかし接点もなく会うチャンスもなかった。しかし十数年前、仕事で野田さんと政経塾の一期生ながら、政治家にならなかった人と知り合い、その人に野田さんを紹介してもらった。私が勤務していた日経BP社の私の部屋に訪ねて来られ、長時間話した。私の第一印象は、「”誠実”が背広を着て歩いているような人」ということだった。しかし国家観はしっかりしていた。幸之助さんが評価したのは、野田さんの国家観だっただろう。その一方で、権謀術数が日常茶飯に横行する政界で伸し上がっていけるのかとの不安もあった。

 野田さんとのかかわりたが、もう一つある。私が日経新聞産業部長時代、同郷の近藤洋介君が産業部に配属されてきた。近藤君の父君は「コンテツ」と愛された元労働大臣の近藤鉄雄さんである。近藤君は私が日経BP社に転じた後、政界に打って出た。最初は落選の憂き目にあったが、その後3回連続して当選し、鳩山内閣では経済産業省の政務官になった。近藤君が属しているのが、野田さんが主宰している「花斉会」である。

 野田さんと近藤君が何回か表参道の事務所に来て酒を飲み交わし、政治談議を交わしたが、考え方がぶれないうえ、パホーマンスを徹底して嫌っていることが分かった。中国の諺に「泰山の安きに置く」のがある。泰山(中国にある有名な山)のようにどっしりと安定した状態にするという意味である。現在の政界には、泰山の安きに置くことが求められる。それが出来るのは、私は野田さんをおいていないと信じている。

 菅総理が正式に退陣を表明していない現在、現職の財務大臣である野田さんが、代表選への出馬表明するわけにはいかない。早晩、しっかりした国家観に裏付けされた日本が進むべき道を示した政策を発表するだろう。今は魑魅魍魎の政治の世界で、代表選の前に潰されないことを願うだけである。

 10日発売の月刊「文藝芸春秋」7月号の巻頭エッセイに「一瞬の判断」を寄稿しました。

 

 

 

 

 

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風説の流布による風評被害

 東日本大震災から間もなく2週間を迎えます。残念なことに、日がたつ経つにつれ風評被害が目立ち始めています。その最たるものは、東電福島第一原発事故です。東京の空にも放射性物質飛んでくるとの風評から、先週は東京でも自宅待機に踏み切った会社があったようです。電車が動かなくなり、出社に支障をきたしたため、自宅待機に踏み切ったなら分かりますが、放射性物質が飛んでくる恐れがあるから自宅待機というのは理解できません。自宅におれば放射性物質の被害に合わないというのであれば話は別ですが、決してそんなことはありません。

 私の事務所がある表参道は平日でも外人客で溢れ返っていますが、先週半ば辺りからめっきり減ってしまいました。原発による放射性物質の被害を恐れ、観光客がキャンセルしたことに加え、米国が原発から80キロ離れるよう避難勧告を出したことが大きいようです。これを知った在日外国人が競って帰国したようです。3連休中に普段なら外国人であふれる表参道で、外国人は殆ど見当たりませんでした。スーパーブランドの店も臨時休業の看板を掲げています。

 ところが昨22日に開かれた東京証券取引所の取締役会で、唯一の外人の社外役員であるアメリカン・ファミリー生命保険の日本代表は、「米国は間違った判断をしてしまった」と陳謝したそうです。真偽のほどは分かりませんが、米国が退避の範囲を80キロとしたのは、福島第一に4機(ほかに休止中が2機)がありⅠ機の退避距離が20キロで、4機あるから80キロにしたというのです。米国がこうした避難命令を出したことで、いつの間にか外国人の間で、「「日本列島全体が放射性物質に侵されている」という風説が流布されたわけです。

 今日の午後に香港駐在の友人が、事務所に来ました。香港の飛行場では日本から来た便の乗客には、放射線量の測定を始めたそうです。香港では地震の起きた日には、日本製の食材を扱う店から日本の商品が瞬く間に店頭から消えたそうです。週明けから元に戻ったようですが、今度は誰も買わないそうです。理由は日本の食材は、放射性物質に汚染されているのではないかというのが原因です。回転ずしも開店休業の状態だそうです。いま香港のホテルには日本人がつめかけているどうです。こうした姿を見た香港人は、「日本は危ない」と思い込んでも不思議ではありません。

 風評被害は産業界で深刻な問題になっています。東北地方にある自動車関連産業は、破壊された工場が再開するまで、まだ時間がかかるでしょう。しかし80切キロの圏内にある自動車部品会社は深刻です。工場は被害もなく、翌日から工場は稼働していますが、単に工場が原発から80キロ圏内にあるというだけで海外メーカーからキャンセルされたそうです。発注先の外国のメーカーは、鉄の塊である自動車部品が放射物質に人汚染されているとでも思ったのでしょう。今日の日経新聞にベタ記事で、「台湾が、日本から輸入する食品だけでなく、玩具や家電など工業製品912品目について放射線量の検査を始めた」と伝えています。 さらに日本からの郵便物も検査すべきだと主張も出ていると書いています。ここまで来るとマンガですが、台湾当局は真剣にそう思っているのでしょう。

 一昨日から福島、茨城の葉物野菜が汚染されているということで出荷停止になりました。野菜で止まっているうちはまだましですが、私が残念に思っているのは、食材のみならず工業製品まで日本の製品は優れている「日本ブランドに対する神話」が棄損されたことです。一度損なわれた神話を復活させるのは容易ではありません。

 かえすがえす残念に思うのは、福島原発の3号機が最初に水素爆発を起こした時点で、東電社の長が廃炉を決断、直ちに海水の注入に踏み切っておれば、事態はもっと違ったはずです。決断をためらっているうちに、次々と他の原子炉も水素爆発を起こしてしまいました。新聞、テレビでは伝えてませんが、現在行っている電源の復旧作業は、原子力発電の再稼働を目指したものではなく、廃炉に向けた作業です。炉心や使用済燃料棒貯蔵プールを冷やして、安定した状態にする冷温停止に成功するのを祈るのみです。

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