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文章の難しさ

 モノ書きを生業としているので、よく「さらサラサラ書けるのがうらやましい」といわれることがあります。私が心がけているのは小学生とまでにはいかないまでにも、中学生でも理解できるような文章にすることです。

 先日、読売新聞論説委員の竹内政明さんの「名文どろぼう」(文春新書)を手にして、唸りました。表紙のキャッチコピーが「名文を引用して、明文を核技術」とあったからです。竹内さんは10年近く読売の「編集手帳」を書かれています。編集手帳に限らず、短文で言いたいことを読者に届けるのは、並大抵ではありません。それを可能にするのは、名文を引用することのようです。

 正直言って、文章は長いほうが楽です。私の書いたノンフィクション作品でも短いもので、400次原稿用紙1000枚が普通で、長いものは2000枚近く作品もあります。週刊誌屋月刊誌にも時折寄稿しますが、1回の枚数が20枚から30枚です。

 最近の難行苦行の原稿は、米国の新聞社から依頼されたトヨタに関する原稿です。注文付けられたのは「米国人はトヨタ車を知っていますが、会社としてのトヨタは知りません。そのことを頭に入れて書いてください」ということです。むろん新聞紙面ですから枚数には限界があります。せいぜい7、8枚程度です。さらに翻訳しやすいように書かなければなりません。

 書き始めたと途端、「すぐ2,30枚言ってしまう」と思いました。そんな場合、どうするか。私は、新聞記者時代からメモを取らなければ、スケルトンも作りません。毎朝の散歩のときに書くべきことを整理して、帰った後、おもむろに書き始めるのです。今回の米国新聞社からの依頼原稿に際しては、まず15枚をめどに書き、それを5枚に短縮する手法を取りました。

「他人の原稿はいくらでも削れるが、自分の原稿は削れない」という人がいますが、私は自分の原稿でもいくらでも削れます。削っていくうちに、筋肉質の原稿に仕上がっていくのが、わかります。与えられたテーマをまとめ、最後に翻訳しやすいように、主語と述語の関係をはっきりさせれば、それで終わりです。

 私は単行本の場合、意識して持って回った表現をすることがままあります。知り合いの人からは、「佐藤節ですね」と言われますが、2007年と2009年にホンダとトヨタに関する英文の本を出版しましたが、最初のホンダは翻訳者は相当苦労したようです。トヨタに関しては最初から英文を意識して描いたので、翻訳も相当楽だったと聞いています。

 そこで分かったのは、「佐藤節」はしょせん、自己満足に過ぎないということでした。私は名文はやはり「誰にでもわかる文章」だということです。

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