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日経ビジネス「映像メディアの世紀 ― ビデオ・男たちの産業史」

日経ビジネス 1998年3月2日号~1999年7月12日号(全70回)

日経ビジネス 映像メディアの世紀

日経ビジネス 映像メディアの世紀

(著者解説)
こ の作品は私が日本経済新聞の産業部記者時代に家電業界を担当した時代に担当した日本ビクターの高野鎭雄さんを中心とした家電産業の栄枯盛衰の物語である。 高野さんとは私が現役の新聞記者時代に知り合い、妙に気が合ったことから亡くなる直前まで立場を越えて付き合ってきた。

こ のテーマは編集局長付編集委員の時代に企画が持ち上がり、1997年秋から日本経済新聞の夕刊で連載することになっていた。しかし私が急遽、日経 BP社へ転籍することになり、新聞連載が困難になった。しかし取材が進んでいたこともあり、日経BP社が発行している「日経ビジネス」で連載することに なった。
イラストは新聞連載を前提に大阪在住の西口司郎さん、レイアウトは多田和博さんにお願いしていたが、掲載媒体が変更になっても、引き受けてもらうことになった。新聞は黒一色だが、雑誌四色使えるので逆に迫力がでた。
連載は1998年3月2日号から1999年12日号まで約一年半、70回に及んだ。日経BP社の役員を兼ねての連載だけに、物理的には厳しかったが、この間、一回の休載も無く連載を続けられたのが、その後の自信につながった。

日経ビジネス 映像メディアの世紀(最終回)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(最終回)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(エピローグ)

日経ビジネス 映像メディアの世紀(連載を終えて)

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Posted in 03 連載.


「望郷と訣別を ― 国際化を体現した男の物語」

望郷と訣別を―国際化を体現した男の物語

望郷と訣別を ― 国際化を体現した男の物語

■ 表紙カバーのコピー
大宅賞受賞(書下し)第一作
若き日に欧州でユダヤ商法を学び、
苦難を乗り越え香港、中国で経営の現地化を成功させた。
愛憎半ばする日本に訣別した石井次郎の半生が、
日本企業の進むべき道を提示する。

■ 裏表紙カバーのコピー
日 本的経営が足かせになりつつある。国際化時代には変化に対する素早い対応と迅速な決定が求められる。「望郷と訣別を」というややセンチメンタルなタイト ルは、日本企業が国際化をはかるには、石井さんのように日本の本社に媚びを売らず、現地に溶け込まない限り困難である意味を込めてつけた。(「あとがき」 より)

■ 著者解説
この本を書こうとした動機は、円の為替相場は1ドル=100円を突破して、日本企業が国際化を迫られたことにある。果たして日本企業や日本人は国際化できるのかを、具体的な企業と人物を通じて描き出すことである。
当初、ソニーと創業者の盛田昭夫さんの生きざまを通じて描き出そうしたが、取材に取り掛かる直前になって不幸にも盛田さんが病に倒れ、取材が困難になった。その矢先に通産省の産業政策局長だった内藤正文さんから貴重なアドバイスを受けた。

「世の中には奇特な人がいます。石井次郎さんといいます。わたしは先月石井さんに会って、日本人にもこんな素晴らしい人がいたのか、とびっくりしました。だまされたと思って一度香港に行って会って来たらいかがですか。佐藤さんのテーマにぴったりの人です」

こうして香港に行って石井さんに会いましたが、事実は小説より奇なりでした。

「お礼というのは、恩になった人だけに返すものではない。返すのは誰でもいい。困った人がおれば、救いの手を差し延べなさい。差し延べるには順送りなんだ」

石井さんが若い時期、デンマークを放浪している時に助けてもらった老人に言われた言葉です。私が驚いたのは石井さんがそれを実行して、中国で日系企業の駆け込み寺ともいうべき「テクノセンター」(日技城)を設立して、中小企業の中国進出を手助けしていることだった。
テクノセンターでは石井さんの提案で、毎年夏、早稲田、慶応、一橋を始め日本の十数の大学からインターンシップとして学生を受け入れている。
文 庫本の解説を書いてくれた一橋大学教授の関満博教授のゼミを始め、殆どの大学では、テクノセンターにインターシップ(就業体験)に行く前に、この本を読 むことが義務付けられている。インターシップを体験した学生はすでに600人を超えている。この作品は1997年の講談社ノンフィクション賞最終候補作品 となった。

発売日:1997年2月
出版社:文藝春秋
単行本:493ページ
ISBN4-16-352550-5

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「ホンダ神話 ― 教祖のなき後で」

ホンダ神話 ― 教祖のなき後で

ホンダ神話 ― 教祖のなき後で

■ 裏表紙カバーのコピー
戦後の混乱期に二人の創業者本田宗一郎と藤沢武夫によって誕生したホンダは、通産省の反対にも屈せず二輪車から四輪車に進出。F1レースでの活躍、低公害 車の開発、さらにいち早い米本土での工場建設など、ホンダの歩みと奇跡の成長は、日本経済の成長と軌を一にしていた。ホンダの国際化は日本経済の国際化でもあった。しかし、創業者の永遠の眠りとともにさまざまなかげりが噴出してきた。神話と伝説に彩られた“戦後企業のスター”の、創業者没後の軌跡を克明にたどりつつ、その経営混迷の本質を剔抉する。求心力を失った“ホンダの子供たち”は何処に漂流していくのか。

■ 著者解説
1995年、文藝春秋社より発刊。1996年第27回「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞作品。著者はホンダの創業者、本田宗一郎さんと藤沢武夫さんと現役時代から亡くなる直前まで交流を続けてきた。世界最後発の自動車メーカーのホンダがなぜ世界有数の自動車になり得たのか。そして2人の創業者が亡くなっ た後、どんな道をたどったきたか。日経ビジネスが提案した「会社の寿命」になぞらえてホンダの奇跡と軌跡を追った作品。2000年に文春文庫に収録。

発売日:1995年4月
出版社:文藝春秋
単行本:596ページ
ISBN4-16-350120-7

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