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「THE HONDA MYTH – the genius and his wake」

THE HONDA MYTH - The Genius His Wake

THE HONDA MYTH - THE GENIUS AND HIS WAKE

■ 著者解説:英語版出版の経緯
「ホンダ神話」の英語版は2006年に米国の出版社のヴァーティカル社から出版された。タイトルは日本と同じだが、サブタイトルは「天才と彼の後継者たち」となっている。
英語版出版まで道のりは、2回目の文庫本のⅠに詳細を掲載しているが、最初に話が持ち上がってから、実現するまで10年ほどかかった。
きっかけは大宅賞を受賞した直後に、英国のFT(ファイナンシャル タイムズ)に書評が載ったことだった。これには正直驚かされた。
なにしろ日本語で書かれた「ホンダ神話」に関する英文の書評がFTの書評欄の四分の一のスペースを使っていたからである。見出しは「古いホンダの精神回復へ新たな邁進」とあった。最後にご丁寧にも「この本はまだ日本語でしか読めません」と書いてあった。
この書評がオックスフォード大学出版局のニューヨーク本部の目にとまり、「英文で出版することを検討したいので、ぜひレビューさせて欲しい」というものだった。
オックスフォード大学には「すべての出版物は、適正な研究者により事前にレビューされなければならない」という規定がある。レビューというのはオックスフォード大学が出版するに値するかどうかを第三者の研究者に判定してもらうことである。
レビューは1997年初頭から半年間かけて行われ、次のような結果が出た。

「本書はフォード・モーターに関するロバート・レイシー著のベストセラー路線にある本であり、自動車産業に関する学術書(オックスフォード大学出版 はそういう本を数多く出している出版社として知られている。)の類いの本ではない。本書は経営トップの人格、政策、戦術に焦点を当てており、その意味で深 く掘り下げた書である。英語版の出版については多くの可能性を秘めている。結論としてこの本が適切に翻訳され、マーケティング(市場調査)されれば、欧米 の市場に大きな衝撃を与えるだろう。これは単にホンダもしくは自動車産業界を描いたものではなく、大企業に成長したがゆえの“企業家精神の腐食”のケース スタディーになりうる書である」

レビューをパスし契約を終え、翻訳も始まった。翻訳をしてくれるのは長年、宣教師として日本に滞在し、国際基督教大学で比較文学論で教鞭に取ったこともある先生に決まった。1998年夏には翻訳が出来上がったが、これで出版できるわけでない。
次 の作業は翻訳が果たして正確な現代英語の訳されているかを確認することである。平行して自動車の専門家に読んでもらい、専門用語が自動車を知らない読者で も分かるよう翻訳されているかどうかを確認する作業がある。この作業はミシガン大学のマイケル・フリン教授が担当することになった。専門用語の訳が適切で ないとことが200箇所あったという。一連の作業は1999年春過ぎに終わった。米国では日本と違い書店は買い切りのため、出版社は見本を作り本格的な マーケティングを行う。
ここまではすべて順調だったが、この先に大きな落とし穴が待ち受けていた。翻訳はオックスフォードを信頼して任せていたが、念のため英文原稿を英語が堪能な友人に読んでもらったところ、意外な返事が返ってきた。

「あのまま出せばホンダだけでなく大袈裟にいえば日本が誤解されます。原因はホンダの内情を知らない米国人が翻訳したことにあります。一度、(翻訳を)見直した方が良いのではないでしょうか」

ほかの友人も同じ意見だった。オックスフォードとの交渉は、本書の担当編集者だった酒井弘樹君に一任してあった。酒井君は日経新聞出版局時代に「巨人たちの握手」を担当してくれた編集者である。
こ の時はすでに日経新聞を辞め、長年の夢だった米国での出版事業を始めるため、ニューヨークで準備を進めていた。酒井君には翻訳された英文を、多少手直しす るだけで出版が可能かどうか検討してもらった。結論は「手直しすればするほど袋小路に入ってしまう。それより翻訳者を代えて一からやり直したほうが早道」 ということだった。
そ のことをオックスフォードの担当編者のアディソンさんに事情を話して、取り敢えず出版に向けての作業を停止してもらった。日本語の分からないアディソンさ んは、自分で探してきた翻訳者の出来栄えと自分の編集に自信を持っており、私の提案に首をかしげ翻訳のやり直しに頑強に抵抗した。
ア ディソンさんの説得には、酒井君が設立を計画しているヴァーティカル社の編集長に内定しているヤニー・メンザス君が当たってくれた。メンザス君はギリシャ 人の父親と日本人の母親の間に生まれ、プリンストン大学とコロンビア大学大学院で比較文学を専攻したした後、母校のコロンビア大学で教鞭を取っていた経験 がある。メンザス君は自分の手でエピローグを翻訳してアディソンさんを説得してくれた。
出 来栄えの良さに、さしものアディソンさんも納得し、新たな翻訳者はオックスフォードとヴァーティカルの双方であたることになったが、いずれも「帯に短し襷 に長し」。実際に依頼した人もあったが、メンザス君の注文が厳しく、途中で投げ出されたり、オックスフォードの方で断ったケースもあった。
翻訳が困難を極めるのは、この本が英文を前提に書かれておらず、“佐藤節”と呼ばれる独特の会話を多用した独特の言い回しにあつた。それでもメンザス君の考えははっきりしていた。

「佐藤さんの独特の言い回しは英語でも必ず表現できるはずです。これができない限り、ホンダの実像は伝わらず、英文で出版する意味がない」

こ こで分かったのは英語を日本語に翻訳する専門家が1000人いるとすれば、日本語を英語に翻訳する人はわずか1人であることだった。考えてみれば日本の書 店には翻訳された欧米のベストセラーが山のように並んでいるが、米国の書店には英訳された日本のベストセラー本はほとんどない。こと書籍に関しては日米収 支は極端なアンバランスである。原因は優れた翻訳者がいないことも一因である。
と もあれ翻訳者探しは困難を極め、時間だけが無為に過ぎていく。アディソンさんは引退時期を2年ほど延長したが、ついに彼の手で出版することができなかっ た。アディソンさんの引退を機にオックスフォードとの関係も稀薄になり、いつしかオックスフォード大学からの出版は雲散霧消してしまった。
といって英訳出版の話が消えたわけではない。酒井、メンザス君の意見は一致していた。

「オックスフォード大学が依頼したレビューにあるように、ホンダ神話の英訳出版は大きな意義がある。ヴァーティカル社は日本の本を英訳して世界に広めるため設立する会社だ。それならわが社で出そう」

こうしてヴァーティカル社からの出版が決まった。ここでも翻訳者探しが難航したが、2003年秋にようやく決まった。依田寛子・マット・アルト夫妻である。奥さんが日本人で旦那さんがアメリカ人という理想のカップルである。
ア ルト夫妻に依頼して分かったことは、翻訳者は単に日本語を英語に置き換えるのが仕事ではないということだ。自分が理解できないことがあれば、自分で調べら ければならないし、場合によっては著者だけでなく、ホンダにも問い合わせなければならない。要は翻訳者自身が書かれていることを完全に理解しなければなら ない。そのため翻訳作業が2年あまりかかった。
表 紙カバーは村上春樹さんの作品を手掛けこともある著名ブックデザイナーのチップ・キッドさんに依頼した。これですべて終わったわけではない。いくら夫婦と はいえ、文体が微妙にことなるので、これを統一する必要がある。この作業は小さい海外で過ごしたバイリンガルの武部浩子さんにお願いした。そして最終的に メンザス君がチェックする。そして2006年12月にようやく完成した。

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Posted in 01 単行本.